山本太郎の経歴!演説はうまい!【ゲリラ街宣】都構想について!
本名:山本太郎(やまもとたろう)
生年月日:1974年11月24日(年齢46歳)
出身地:兵庫県
最終学歴:1991年に箕面事由学園高校中退
現在は俳優業を経て「れいわ新選組」党の代表を務める。
異色の経歴
天才・たけしの元気が出るテレビ!で大人気
政治家としては当時非常に珍しい俳優業からの転職であった山本太郎。1990年には【天才・たけしの元気が出るテレビ!】の[ダンス甲子園]に出場し、芸能界入りを果たしています。
政治家
≪政治家≫という職業ワードを耳にするとイメージは高学歴というのがまずでできます。そのイメージを払拭し、政治と都市民がかけ離れた存在からの架け橋となっているひとりでもあります。親しみやすい政治家の方が投票したくなるのは筆者だけではないと思います。
俳優、ドラマで活躍の実績
俳優での主な出演作品は映画【EDEN】では新宿二丁目のショーパブ店長役やテレビドラマ【難波金融伝 ミナミの帝王】シリーズでは萬田銀次郎の舎弟・新庄公平役。さらには2000年映画【バトル・ロワイヤル】では川田章吾役などといったきわどい役柄も演じていた。
会社員
その後意外なことに一度営業職も経験しています。
2012年に太陽光発電設備の[ソーラーリフォーム社]に営業職として就職しています。「反原発運動時は俳優業の仕事が減り、当時からの収入が10分の1になった」と本人が語っています。
第46回衆議院議員総選挙の出馬
そこから同年12月に『第46回衆議院議員総選挙』への出馬と『新党 今はひとり』の立ち上げを表明しました。
ここまででもう人ひとりの人生を2~3回くらい過ごしていますね。
なぜ山本太郎は都知事選で負けたのか
2020年7月に東京都知事選挙が行われ、もちろん山本太郎も出馬していた…が、同時に強敵【小池百合子】もまた出馬していました。
その強敵は山に例えて山本太郎は「百合子山は高かった」と述べていて圧倒的な差が本人の口からこぼれました。
2020年7月はコロナ渦での選挙期間でもあり、出馬していた方々は街頭演説などで人が密集することを避け様々な演説をし、自己をアピールしていました。
ゲリラ街宣あかん!都構想
大阪都構想とは、府知事と市長を務めた【橋下徹】が10年前に提唱したものです。
政令指定都市の、大阪市を廃止にし、東京23区と同様の特別区に再編する構想です。制定指令都市が仮に廃止されれば大阪は【淀川】【北】【中央】【天王寺】の4特別区の再編が検討されており、府の名称は維持されますが【大阪都】への変更は法整備が必要不可欠です。
そんな想定を関西出身の山本太郎は他の主要野党同様「あかん!」と声を大にしています。
れいわ新選組の山本太郎代表は大阪・ミナミの道頓堀でゲリラ街頭を行い、以前のみ【ミナミの帝王の萬田さん】を彷彿させました。
そして「萬田さんなら大阪市を4分割するんはアカン!…とそう言うハズですわ」と訴えました。
大阪市役所前では共産党が「都構想は百害あって一利なし」と訴え、立憲民主党も繁華街・新世界に辻元清美副代表をはじめ約30人が集まり、批判を展開し、望んでいないことを強く印象づけました。
法的整備が必要とあらばお金と時間もかかる。それらを整備するのであれば他に使い道はあるでしょうとの意見もあります。
これらをみると「あかん」というフレーズが萬田さん、いえ、山本太郎からキャッチフレーズにするほどのことが垣間見えますね。
山本太郎 まとめ
昨年から一転して日本のみならず海外も新型コロナウィルスの中での日常をおくらなければならなくなったことから生活様式は一変しました。
「ちょっとそこまで」の買い物でもマスクをしていないと白い目で見られ、中には「マスクをしろ!」と恫喝している人も見受けられるピリピリした世界情勢。
そのなかでたとえ10年前の提唱であれ大阪を大事にするといった姿勢はコロナ渦でますます大きく見受けられ、強調されています。
休業要請やクラスター発生阻止、そのための施設利用者確認QRコード使用を推奨され、それはすぐに大阪から東京、そして全国に発信されました。スマホシェア率が高い中での読み取りをするだけで施設利用日時などが管理されるというとても近代的かつ簡単なことを東京では思いつかなかったことが大阪では早い段階で出てきました。
山本太郎の街頭演説
柔軟な発想が大阪にはある。そしてなにより大阪を【大切】にしているからこその山本太郎の街頭演説や、今はYouTubeでも動画を配信しています。
上記URLでご覧出来ない方は検索ワードに、【youtube れいわ新選組 公式】 と入力して検索するとショッキングピンクの旗にひらがなで【れいわ】と掲げられたアイコンがでてくるのでそちらも気になった方は視聴してみるといいと思います。
山本太郎自身の言葉で作られている動画ばかりですのでとてもためになりました。
筆者自身、政治はお堅いイメージがとても色濃く印象についており、取っつきにくいカテゴリーのひとつでした。そんな気持ちを山本太郎は払拭してくれ、元俳優と異色の経歴を持ち、そこでも培った大阪への愛が今溢れでていのですね。
これからの大阪からの、山本太郎からの発信に目が離せませんね。